夜、私はふと目を覚ました
       私のベッドから少し離れたソファでは、相変わらずサガが独りで眠っている

       「・・・う、ん・・・・。」

       サガが、私のほうに向かって寝返りを打った
       その拍子に、被っていた毛布からその広い肩が少しはみ出したようだった

       「サガ・・・」

       暗がりの中、私はベッドからそっと降りて左足を庇いながらサガの側まで歩み寄った
       身体が冷えないように、と彼の身体に毛布をずらして覆った

       「・・・・・・」

       双児宮の大きな窓から差し込んだ月影が、サガの端正な顔を照らし出していた
       青白いその表情は、どことなく孤独感が滲み出ているように感じられた

       なぜそんな気持ちに襲われるのか、自分自身よくわからないけど

       私の傷を気遣うサガの微笑みの中に、ぽつん、と暗い点のようなものが存在するような気がするのだった












       「、君の心の声が私を呼んでいた気がするのだ」


       かつて、あの崖から落ちて気絶していた私をサガがどうして見つけられたのかを尋ねたことがあった
       サガは、私の問いにそう答えた

       …私の、心の声

       あのとき私は、何を思っていたのだろう
       サガは、私の心の中の、何を受け取ったのだろう

       「ほら、余計なことは考えないで、今はよく休みなさい」

       一生懸命思い出そうとする私の頭を、サガは優しく撫でて微笑んだ
       私の身体をベッドの上に寝かせて、サガは双児宮を出ていった





       ・・・・・サガがいつも傍にいる、それがいつしか私の幸せになっていた

       ・・・私の人生の、一部になっていた

       だから、そのことが当たり前過ぎて、私は何か大事なものを忘れてしまっているような気がした
       あの日、荒野を流離っていたとき、私の心を覆っていたもの
       それは・・・







       月影に照らされたサガの頬に、何かが光った

       「サガ・・・」

       私はサガの顔をそっと覗きこんだ
       眠りのために閉じられたその瞳は、開くことはなかった

       「・・・・・・・!!」

       サガの瞳が、永遠に開かれないのでは、という不安に私は苛まれた

       ・・・そんなことあるはずがないと分かっているのに
       サガの身体が私のこの目の前で健やかにリズムを刻んでいるというのに

       立ち尽くしていた私は、急に床にへたり込んだ
       痛かったのは、決して左足だけではなかった

       ・・・胸が、痛い

       サガが私の目の前からいなくなってしまうことが、私にとって何よりも恐怖なのだということに今気がついた






       「・・・、どうした?」

       サガが起き上がった

       「?」

       「・・・いいえ、なんでもないわ」

       こんな私の気持ちを、サガに悟られてはいけないような気がして、思わず頭を振った

       「・・・なんでもない、ようには思えないが」

       「・・・いいえ・・・なんでもないの・・・」

       「・・・ここの床は冷えるだろう。ずっと座り込んでいたらの左足に悪い。・・・ほら」

       サガは床に崩れたままの私を抱えあげると、そのままベッドへと運んだ
       私は思わずどぎまぎしてしまっていたが、サガは私を優しくベッドに寝かしつけるとソファにそのまま戻ろうとした

       「サガ、待って」

       私は小さく叫んでいた

       「サガ・・・、どうか、ここに居て」

       「・・・私はいつも、ここにいるだろう。どうしたんだ、

       サガは私を不思議そうな目で見ていた

       「・・・違うの、サガ。あなたと一緒に・・・眠りたい」

       「!・・・・・・。」

       サガは軽く目を見開いた

       「独りだと、寒いから・・・。ダメかしら。・・・お願い、サガ」

       「・・・そうか・・・。」

       サガはぽつり、と低く呟くと頷いてゆっくりと私の横たわるベッドに入ってきた

       「サガ・・・」

       私はサガの手を取って両手で挟んでいた
       そして彼の手は、それを拒まない

       「サガ・・・嬉しい・・・」

       私は思わずサガの大きな手を握り締めた
       その瞬間、サガは、フ、と口元を綻ばせた

       「の手は、こんなにも力が強いのだな。驚いたよ。」

       「・・・ひどいわ、それは・・・」

       破顔一笑
       サガは心地よさそうな表情(かお)をした
       そして、私の髪を掬う

       「こうして、誰かと同じ床で眠るのは幼い頃以来だ」

       「・・・お母さん、のこと?」

       「ああ。もう殆ど覚えていないがな。・・・ただ、身体が温かかったのを覚えている」

       サガはそう言って目を細めた
       少し、遠くを見るように
       綺麗な、青い瞳






       遠い昔を、サガはどんな気持ちで思い出しているのだろう
       彼の胸の中を思うと、私の心にちくちくとした痛みが走った
       ずっと・・・20年以上も、肉親の温もりも知らず、独りで生きてきたサガ
       今、彼に必要なのは、他の何物でもなく・・・温もりなのだ
       人間の、温かさ


       「サガ」

       「ん?」

       私はサガの方に身を寄せた

       「こうしてて良いかしら?」

       私はサガに抱きついた

       「・・・・・・ああ、、お前は温かいな」

       サガは一瞬だけ顔を上げ、そして私の背中に腕を回した

       「ええ、サガもとても温かい。・・・もう少しくっついていいかしら?」

       私はサガの返事も待たずに、サガの身体に自分の身体をほぼ密着させた
       サガは一瞬、躊躇ったが、私の背中に回した腕に少し力を入れた

       「・・・人とは・・・温かいものだな。・・・、お前と居ると私は、自分自身が確かに生きていると実感できるような気がする。」

       語尾が、少し震えていた

       「ええ、サガは生きてる。こんなにも温かいじゃない。・・・ずっとずっと、温かいのよ。」

       「・・・・・・ああ、私は生きているのだな。罪深い存在であるこの私が・・・。」

       「罪なんかじゃないわ。・・・だって。サガはいつもみんなのことを考えてる。たくさんの人の幸福のことを願ってる。そんなサガのどこが罪だって言うの?」



       「私は、私は蘇ってはいけなかったのだ。・・・このサガは・・・!」



       サガの言葉が小刻みに震えた
       いや,言葉だけではなく、身体総てが

       「・・・サガ・・・。」

       私の胸が、ぎゅうっと締め付けられるようだった

       「・・・いや、すまなかった、。何でもない・・・。」

       沈黙の後、サガは、私の髪をその長い指で梳いた


       私は、知っていた

       サガがその仕草をするときは、酷く寂しい思いに苛まれていることを
       だから私は、サガの胸に顔を埋めて小さく囁いた

       「サガ、私は貴方に命を救われた。私の身体が温かい、と言うのなら、それは貴方が私を助けてくれたからよ。
       だから今の私のこの温もりは、サガ、貴方の為に総て捧げられるべきものだと思うの。いえ、私はサガ、貴方にこの温もりを総て捧げたいの。
       貴方が二度と、冷たい思いをしなくてもいいように・・・。」

       「…………」

       低く呟くサガの瞳の奥で、暖かな陽射しを反射したように僅かに明るい光が煌いた

       「……ありがとう……。私は、何度君に救われただろう。……、君という存在そのものにだ。……本当に……。」

       「サガ、貴方は一人じゃないわ。……それでももし、寂しく感じるときがあったなら、いつでも私がこうやって温もりを分けてあげる。だから安心して。」

       サガは、私を振り仰ぐように見つめた
       その瞳には、最早先ほどまでの不安定な悲しみは消え去っているようだった

       「サガ、さあ眠りましょう。明日は確か、輔佐の日だったでしょう?朝はいつもより早く起きなくちゃいけないんだし。」

       「……ああ、そうだな。ではお休み、

       「ええ、お休みなさい、サガ」

       私はサガの手を軽く握り締めた
       そして、サガがその手を握り返した
       軽く……そして深く



       ずっと繋がっていられますように



       私は心の奥で小さく呟いた
       すぐ傍では、小さな、でも安らかな寝息が聞え始めていた

















       私が目を覚ましたとき、もうサガは教皇補佐の仕事に出かけてしまった後だった

       サガが使っていた寝具は綺麗に整えられ、まるで昨晩二人で眠っていたことが嘘のようだった

       ……嘘ではない、と分かっている
       昨晩のサガの手の感触が、まだ私の掌に残っていた
       それでも、ほんの少しだけ、切ない
       何故だろう

       私は、サガが寝ていた枕に顔を埋めて寝室の入り口のほうを見つめた

       サガは、あの扉から出ていったのね
       今朝は、どんな気持ちで宮を後にしたのだろう

       ぼんやり考えていたら視界の端に何かがちらついた
       ベッドのサイドテーブルに、小さなメモが置いてあった
       私はどうにかしてサイドテーブルに近づき、視線を落とした



       「ありがとう」



       ただ一言、そう記された紙切れ

       「・・・ふふ。サガったら・・・。それを言いたいのは私のほうなのに。」

       先を越されちゃったかな、と私は思わず口元を綻ばせていた

       左足を庇う分、よたよたとしながらも、私は窓に近づいてカーテンをそっと引っ張って開けた
       ・・・ギリシャの陽射しは、私の国よりも遥かに強く私を誘った

       「う―――ん、今日はちょっと外に出てみようかな・・・?」

       さっ、と脳裏にサガの心配そうな表情が横切った

       「・・・いやいや、いつまでも閉じこもってるよりも、ちょっとは外に出たほうが身体には良いに決まってるわよね」

       と、誰にという訳でもなく自己弁護して、私は双児宮の外に散歩に出かけることにした
















       殆ど左足の皹は完治しているようで、皹よりも寧ろしばらく筋肉を使わなかったことのほうが身体には響いているようだった

       「う―――むむ、さすがに長い間まともに歩行しないと人間の身体の機能は衰えるみたいね・・・」

       独りごちながら、私はおっかなびっくり松葉杖を操って一歩一歩地面を踏みしめていた
       足を気にしながらの散歩なので、どうしても視線は下に向きがちで、周りの景色を楽しむ余裕は少ない

       さながら病院のリハビリテーションのようだった

       双児宮から大きく外に反れ、森の中へ私は入ってみた
       深緑のヴェールはまるで私を歓迎するように包み込んでくれた
       すぅ――っと大きく何度も深呼吸をする

       「うう――ん、やっぱり森林浴はいいわねー。」

       緩やかに枝を伸ばす木々の間からは、日光が零れる
       自分の国のものとは明らかに異なる陽射しの色に、私は思わず眼を細めた


       「……ん?」


       木々を縫うようにして斜め前方に開けた空間に、小さな泉が広がっていた
       この距離ではあまりよく見えないが、おそらくとても良質な水が湧いているようだ
       泉の真中とおぼしき部分から、放射状に波紋が拡がり続けている


       「…綺麗…。」


       気がつくと私は松葉杖も放り出さんばかりの勢いで泉に近寄っていた

       …浅いせいか、どこまでも透明な水
       そして真中の水の湧く部分では銀色の砂がさらさらと水と共に舞っていた
       泉の縁に腰を下ろして右足をそっと浸けてみると、思ったよりも水は冷たかった
       一見したところ、この泉には魚や生物は住んでいないようだったが、さりとて毒があるとも思えない

       「……ここの水、飲めるのかしら…??」

       両の掌を合せて泉の水を掬って覗きこんでみた

       「…多分、大丈夫よね。…ヘンな匂いもしないみたいだし…。」
       私は掌の水に唇を近づけようとした








       「……おい、待て。」








       突然、後方から声がしたのでびっくりした私は、掌の水を取り零した
       いくつもの雫が、私の掌から許の泉に帰る

       「そこの砂は銀星砂だ。水にも成分が溶け込んでいるから、あまり身体に良いとは言えんぞ。」


       声のした方を振り返ると、泉に一番近い樹の幹に一人の男が寄掛ってこちらを見ていた











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