小鳥





  私はひとり、道なき道を彷徨う
  「ここは、どこだろう・・・?」
  そんなことはもう何時間も前に考え飽きていた
  まるで絵に描いたように迷い子と化した自分自身を
  ふと嘲笑いたくなる
  ・・・それでも、私は独り
  己の心に迷いを持つものは、時に身にまで波紋をもたらすらしい




  上を見上げる
  地面はくすみ、こんなにも荒涼としているのに
  空はどこよりも蒼かった

  対比が眩しすぎる

  目に染みる、とはこのことかもしれない
  薄ぼんやり感じたその瞬間
  岩だらけの遠い道は、目の前で突然途切れた







  「いったた・・・。」

  どうやら、左足に深手を負っているらしい

  「・・・これは、折れたかも」

  うっすらと、しかし確実にボトムに血が滲んでいる

  ・・・立てそうには、ないなぁ

  どうしたものか
  こんな時でも冷静な自分が、空恐ろしかった
  独りでは、悲鳴を上げる気にもならない



         『どうせだれも、いないもの・・・』




  ふぅ、と大きく息をついた
  ボトムを浸食してゆく紅を見る気にもなれないので
  ゆっくり地面に横たわってみた

  うーん、やっぱり蒼いわ、ここの空は・・・

  生暖かい足下の感触と対をなすように清清しく晴れわたった空

  流れ出る血液も、地面ではなくこの空に吸い込まれて行けばいい

  視界いっぱいに蒼が広がる
  天(そら)に還る、そんな心地を
  薄い意識の中で私は楽しんでいた













  また、空の色・・・?

  ゆっくりと開けた視界にきれいな蒼が飛び込んできた
  本当に、天に還ったのかもしれない
  まだどこか芯のほうがぼうっとする頭で考えた

  「気がついたようだな・・・。そうか、良かった・・・。」

  ・・・低い声
  私の網膜に焼きついた蒼は、さっきまで見上げていた空ではなく細い筋の集まりだった

  「あ・・・。髪の毛」
  「うん・・・?そんなに珍しいか?」

  深い空の色の髪の持ち主は、安堵したように目を細めて微かに笑った
  そう・・・この人、瞳も蒼いのね

  「・・・あなたは、誰??」
  「・・・私は、サガ。」

  彼の優しい微笑みを目にして私は、はっとした

  「・・・!ごめんなさい。私、自分の名前も言わないで先に名を尋ねてしまうなんて・・・!・・・私は
  「・・いいんだ、。突然で混乱するのは当然のことだろうから。私はそんなことは気にしていないよ。・・それより、、君が無事で良かった・・。」

  サガは私の顔を覗きこんできて、そっと微笑んだ
  彼の手が、私の頭を撫でる
  私の髪の毛を一筋、手にとっては梳いてゆく

  ・・・大きな手

  父親のような、兄のような、そんな力強い安らぎがサガから私の心に流れこんでくるようだった

  「あのとき、君を・・・をこの手の中で失うのかと思った。・・・怖かった・・・。」

  俯いたサガから、ぱたり、と私の頬になにかが零れてきた












  あの時、私は聖域の高み、スターヒルに立っていた

  ・・・ここは、禁断の地
  全聖闘士にとっての禁断の意味ではなく、この私にとっての禁断の地
  自らの罪を封じた、禁忌の地
  多くの人間を欺き、罪に陥れた

  そして、その命を奪った

  女神の加護により彼等の命が蘇った今でも
  私の罪が消えてなくなることは永遠に、ない
  否、彼等は私の肩を叩き、微笑みかける
  「もう、済んだことだ」と・・・

  それは嘘ではない
  ・・・しかし、だからこそ、私は痛みに苛まれる
  永遠に続く、自責の念に囚われ続ける



  時折、自らの心に翳りを感じる
  澱のように、私の心の底に静かに沈殿って行く

      「罪の意識」

  それは女神の慈愛を以ってしても私の中から消し去ることができないのだ
  だから私はスターヒル(ここ)に立つ
  自分ではどうすることもできない、この罪の意識を
  消し去れないが故に、それに塗れるために
  自らを、虐するために





         『どうせだれも、いないもの・・・』





  私の心の波長(トゥーン)を直接揺るがす
  ・・・誰、だ?
  酷く、寂しい声




         『どうせだれも、いないもの・・・』




  私の心に、何度も響きわたる
  耐えられないほどの、孤独な囁き
  どうしてか、胸が締め付けられたように痛い
  誰かの、その声が私の波長と共鳴している
  ・・・私と同じ、孤独な波長
  呼び合っている、なぜかそう感じた瞬間
  私は、スターヒルを駆け下りた









  聖域の端
  そこは一面の荒野だ
  一握の生命すらも育まぬ大地
  彼女は、血溜りの中、そこに居た
  ぴくり、とも動かない




         『どうせだれも、いないもの・・・』




  私の心に、彼女の酷く寂しい声が木霊した
  ・・・胸が、酷く痛い



  「私が・・・、私がここに居る・・・!」



  私は、彼女の半身を抱きかかえた

  「おまえは・・・、独りではない・・・!」

  まるで、自らに言い聞かせるように強く囁いた
  まったく動かない彼女に、私はありったけの小宇宙を送りこんだ
  生まれて初めて、誰かを喪失うことを恐ろしいと思った
  ようやく見付けた、同じ気持ちを分かち合え得る人間を
  こんな場面(かたち)で喪失いたくはなかった












  私の足は、完全に折れていたはず
  確か、酷く出血していた気がする
  ・・・私の記憶違いだったのかしら?
  目覚めたときには微かな傷があるだけだった
  骨には、皹が入っていた

  「完治するまではここでおとなしくしているがいい、

  サガは、いつものように私に優しく微笑んでくれる
  私が彼…サガに助けられて、一月が経っていた

  私が居るここは、サガの家
  正式には、双児宮という宮殿の一室
  サガは、この宮を預かっているのだと私に教えてくれた
  私が彷徨っていた、あの荒野の先にこんな建物があったなんて、驚きだった
  あの時は、地平の先までずっと荒野が続いているように感じたのに

  「それは、、君の思い違いだろう・・・。ほら。」

  サガは、私が横たわる寝台の側のカーテンをさっ、と開いた
  窓からは、良く晴れ渡った空と、麓の町が見える・・・そして大きな海

  「・・・眩しい・・。」

  私は、大きな寝台の上で目を細めた
  サガのためのこの寝台は、この1ヶ月私に占められていた
  サガほどの大きな人であっても、ゆうに4人くらいは寝られそうな寝台
  サガと私が2人で寝たとしても、互いが触れる心配はないのに
  彼はこの1ヶ月、側のソファで眠っていた

  「ソファは痛くない?こっちで寝てみてはどう?」

  私がサガにそう言う度、サガは僅かに微笑んで、首を横に振った
  この瞬間(とき)のサガの微笑みは、いつも少しだけ苦そうな気がする
  そしてサガは、それを私に悟らせないように隠している

  でも、なぜか
   私にはわかってしまう
  どう言えば良いのだろう
  ・・・サガの心が、私の中に直接流れ込んでくるような、そんな感じがする
  しかし、その流れはとても自然で
  …あまりにも自然過ぎて私を驚かせるほどに










  血塗れのを見付けた時、私は彼女にありったけの小宇宙を送りこんだ
  の心臓が、コクン、と動きだした瞬間、私はどれだけ嬉しかったことだろう
  を冥府からようやく取り戻した、まさにそんな心地だった
  心臓は動き出したものの、彼女の左足は、完全に砕けていた
  大きく裂けた傷口からは、まだ血が溢れていた
  私はの左足の傷に、ヒーリングを施した
  この時ばかりは、自らが聖闘士であることを無上に有難く感じた


  の傷口は、みるみる小さくなってゆく
  おそらく、骨も殆ど元通りになっていただろう
  このまま、もう少し私の小宇宙を送りつづけたならば、の傷は消滅する
  そして、それは私にとって至極当然で、造作もないことだった

  ・・・それなのに、私はヒーリングの手を突然止めてしまっていた
  何故だ?
  自分でもよく分からなかった

  ようやく見付けたの、その深手を癒すこと

  それは私の望みであり、願いであることは確かだ
  ・・・それなのに、どうして私は傷を完治させることを躊躇ってしまうのか?



           『カノジョ、ヲ テバナシタクハナイ』



  私の心の奥底で、嘗て私を支配した邪悪なもう一人のもの、ではない声が聞こえた

  ・・・これは、私自身の声なのか?
  私自身の望みなのか?
  いくら考えてみても、答えは出そうにもなかった





  私は、まだ傷の癒えぬを抱えて、双児宮へと歩き出した


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