双児宮・裏











     ……おい。
     …そう、そこのお前だ。



     お前、あの愚か者が道を譲ったからと言ってこの双児宮を易々と抜けられると思っただろうが、そうはいかん。
     此処を護るのはあの愚か者一人と思ってもらっては困る。
     …いや、寧ろ俺に取ってはあの愚か者こそが邪魔者以外の何者でもないのだがな。
     …フン、まあ良い。俺の名は…カノンだ。二度とは言わん。…その心に刻み付けてもらおうか、俺の名を。






     …うん?俺とあの愚か者が似ているだと?
     俺を馬鹿にしてもらっては困る。あいつと俺では似ても似つかん。

     …そうだな、例えて言うなら、あいつは「内柔外剛」、それに引き換えこの俺は「外柔内剛」と言ったところか。
     外面こそ立派に取り繕ってはいるがな、あの男の内面は矛盾と欺瞞に満ち溢れている。
     そしてこの俺は、しょっちゅう悪人扱いされてはいるが、あいつのようにヤワな内面はこれっぽっちも持ち合わせてはいない。
     言葉は嘘は吐(つ)けん。これで俺とあの愚か者の違いが良く分かっただろう。
     …何?「やはり同じ顔にしか思えない」だと?
     俺たちは双子だ。顔が同じなのは当たり前だろうが。…俺が例えて言ったのは中身の問題だ。






     この俺に言葉のレクチャーをしろだと?
     今ひとつ気が乗らんが…まあいい。

     そうだな、あの愚か者をいま少し追い詰めてみるのも一興だな。…ククク。(邪悪な笑いを浮かべる)
     あの男…サガの内面には矛盾と欺瞞が満ち溢れていると今しがた言ったが、それに関して話してやろうか。




     まずは「矛盾」だな。…あいつの心の中、そのものだ。
     これは原作でもドラゴンとペガサスが対峙した時にわざわざ引用されているから多くの者が知っているだろう。
     この語は「韓非子」に出典を取る有名な故事成語だ。
     説明してやっても良いが、既に童虎がドラゴンに教えてやっているようだから此処では省く。


     この「韓非子」は、その名の通り、戦国時代末期に「韓非」が記した書だ。
     韓非は、戦国の七雄「韓」の国の王族として生まれた。非常に合理的な思想の持ち主で、
     法と刑罰を用いて民を統治する事を国の基本とした考えを説いた。(法家)

     当時は七雄の最西にある国、「秦」の力が強大になり、もうどうにも抑えられない局面まで来ていた。
     この「秦」が斯くも強大になったのは、この国の王が非常にクールな思考回路を持っていたからだ。

     当初、秦は中央に位置する他の国に比べ辺境の野蛮人扱いされていたのだが、
     王はその侮りを跳ね返すべく富国強兵策に打ち込んだ。
     結果、秦は他の六国を平らげ、初の統一国家を造った。まさに「力こそ正義」だな。
     …そしてその男が秦の始皇帝(中国では「秦始皇」と言います。即位前は秦王・政)だ。

     始皇帝とこの韓非の出会いは、互いにとってまさに理想のものだった。
     韓非は自分の考えを前々から書に表していて、それが始皇帝の目に留まったわけだ。
     おりしも始皇帝の側近の李斯は韓非の同門の友人であり、そのツテもあって韓非は秦に招かれ、仕えることになった。

     やがて、このままでは友人に自分の立場を奪われてしまうと危惧した李斯は、
     韓非が何より韓の王族の出であることを始皇帝にちらつかせ、始皇帝に韓非に対する疑惑の念を抱かせた。
     始皇帝と言う男は、極度の人間不信だったようだ。…幻朧魔皇拳にすぐ引っ掛かりそうだ。
     そして、うまく始皇帝を抱きこんだ李斯は、韓非に服毒自殺を強いた。
     …まったくもって不遇だった韓非ではあるが、その書は幾多の時を経て尚、我々に読まれ続けている。




     「矛盾」「守株」と言った良く知られた故事成語の他にも、「信賞必罰」「有言実行(不言不実行)」などの
     日常良く聞くフレーズもこの書から生まれた。
     非情なまでに冷徹な思想ではあるが、現在でも立派に通用するスピリットに溢れている。
     …どこかの自称クールな師匠にも是非読ませてみたいものだ。

     ちなみに、管理人は中一の時に初めて読んだ漢籍の思想書がこの本だったせいで非常に想い入れがあるそうだ。






     この「矛盾」と同じ表現を一つ教えてやろう。それが「自家撞着」だ。

     「じかどうちゃく」と読み、「撞着」だけで「矛盾」を示す。
     「撞」は単体では「つ・く」と読む。意味は「ぶつかる」「つきあてる」だ。
     つまり、「自家撞着」とは「同じ人間の言行が前後で矛盾していること」
     ひいては「自己矛盾」していることを表す。
     これほどあの愚か者に相応しい言葉があるだろうか。ウワ―――ッハハハ!
     悪だの正義だの、俺に言わせれば愚の骨頂。しかもそれが原因で己を滅ぼしたのであれば尚の事。
     …だから言ったのだ、「己に正直になれ」と。
     俺は、あいつとは違う。俺はいつも己の心の赴くままに、自分に正直に生きているからな。…俺は、永劫に俺だ。






     …そう言えばあいつはどうしている。
     顔色を変えて俯いていただと?ハッ、それは良い。無様な面でも拝みに行ってやるか。



     …ああ、お前は行って良いぞ。勝手に先に進んでくれ。
     (歩き去る)











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