「…カノン。」


       「サガではなくて済まなかったな、。」


       口元を歪めて、カノンは苦しそうに笑った
       口だけは笑っているが、彼の目は決してその鋭さを失っていないのが暗い部屋の中からでもはっきりと判った


       「ご…ごめんなさい、カノン。サガと貴方を間違ってしまうなんて…。」


       はっとした私は、すぐさまカノンに詫びた
       …もう、遅いと判っていたけれど

       カノンは口の端を歪めて私の言葉にクッ、と笑いを漏らすと私に向って歩みを進めた


       「で、、お前はこんな所で一体何をしているんだ?またリハビリか。」

       「違うの、私は…!」


       サガがいなくなったと言おうとして、私は咄嗟に黙り込んだ
       …そうだ、カノンはサガを嫌っていたはず

       もしや……!でも


       私はスッ、と息を吸い込むと、カノンの瞳を覗き込んだ







       「カノン、貴方、サガを見なかった?」







       私が言ったその瞬間、ピクリと僅かだがカノンの眉が動いたのを私は見逃さなかった
       …やはり、彼だったのだ
       彼が、サガを…



       「…ほう、あいつは昨晩、此処に帰って来なかったのか、。」

       「…いいえ、帰って来たわ、此処へ。でも、すぐにまた何処かへ行ってしまったの。」

       「で、お前はそうやってずっと此処であいつを待っているという訳か?」

       「…ええ。」



       何時の間にか、私の語調はきつくなっていた
       何故かしらばくれようとするカノンに、私は遣る方無い怒りに駆られていたようだった


       「カノン、貴方はサガが何処にいるのか知らない?」

       「さあな。…いくら双子とは言え、互いの居場所まで判る筈も無いだろう。」

       「…そう。」


       私は一言だけ返事をすると、そのままカノンの横を通り過ぎた
       突然の私の行動に、カノンは僅かにたじろいだ



       「、お前その身体で何処へ行くんだ?」

       「あの人を…サガを見付けに、よ。」






       そのまま数歩ほど歩いた処で、左足の力が抜け、私はがくっとバランスを崩した
       双児宮の石造りの冷たい床に倒れ込む…その手前で、私の身体はカノンに受け止められていた
       私の体勢を元に戻す為に、カノンは私をゆっくりと抱き起こした
 





       「…馬鹿、何をやってるんだ。その身体では…まだ無理だ。」






       小さな子供を叱る様な言葉に、私は思わず目の前にいるカノンを見上げた
       …カノンの強い瞳には、私を心配する気持ちが確かに浮かんでいた

       私の前にいるのは、昨日泉で私を励ましてくれた人
       私が立ち上がるのを待っていてくれる人
       ……でも、サガの心をズタズタにしたのも…この男

       カノンという人間が、よくわからない
       頭の中が、酷く混乱している
       …私は一体、どうすれば良いの?
       助けて、帰ってきて…








             「サガ……。」








       咄嗟に口にしてしまった…小さな小さな呟きだけど
       その一言にカノンの表情が、一瞬にして変わった



       「痛い!離して、カノン!」


       カノンの大きな手が、私の肩を強く掴んだ
       ミシ、と私の体が悲鳴を上げる


       「離して!…カノン、やめて!」


       カノンの腕の中で、私は精一杯抵抗しようと試みた
       だが、鍛え上げられた男の体から発される力の前には、それもささやかなものだった
       気が付くと、私は双児宮の石の床に体を押し付けられ、カノンに組み敷かれていた
       私の両肩を掴むカノンのその目には…狂気に似た恐ろしい光が宿っていた
       カノンの視線が私に突き刺さる



       「…何故だ。どうしてお前はあの男を求める!?」

       「…カ、カノン?」


       カノンの目は大きく見開かれ、赤く充血の色を帯びていた


       「あいつは…サガは、、お前を本当に愛してやれるような人間じゃあない。
       あいつが真に愛しているのは、罪に塗れた己自身だけだ。サガは、お前を通して自分に語りかけているに過ぎん。」

       「カノ…ン。」


       私は、カノンの瞳を覗き込んだ
       カノンの瞳の中に…私の姿がある
       …サガは、こうして私の中にある自分だけを見つめていたの言うのだろうか






       「…それは違うわ、カノン。」


       私はカノンの体の下で小さく頭を横に振った


       「違うのよ。…サガは、私の心の叫びに応えてくれた。『寂しい』という私のその気持ちを、共有してくれたのよ。
        あの人は、拒まれるのが怖いから…本当の気持ちを他の人には開く事が出来ないだけ。
        サガが優しいのはきっとその寂しさの裏返しなのよ。
        そして彼は、寂しい気持ちを分かち合える誰かを、…ずっと求めていたのだと思う。」

       「どうして…そう思う?」


       カノンの目が、僅かに細められた



       「それは、カノン、貴方が教えてくれた。貴方と昨日話しているうちに、私はどうして聖域(ここ)に迷い込んできたのか…
       そしてその時私は一体何を思っていたのかを思い出したのよ。はっきりとね。」

       「…、お前はあいつと心を共有できるというのか?」

       「ええ。…勿論、何から何まで共有できるとは思ってはいないわ。
       …でも、少なくとも『誰かを信じていたい』という気持ちだけは分かち合えると思いたいの。」

       「共有……か。」


       カノンは顔を僅かに背けて呟いた






       「俺には…俺とお前では不可能なんだろうな。」

       「…え?」

       「俺の気持ちは………、いや、なんでもない。」



       カノンの表情は一瞬だけ険しくなり、すぐに元に戻った


       「ほら。…探すんだろう、あいつを。」


       カノンは立ち上がると、私に手を差し伸べた
       …その表情は、泉の滸で私が見たあの優しい表情とまったく同じものになっていた

       私はカノンの荒れた掌に掴まると、ゆっくりとその場に立ち上がった


       「…ありがとう、カノン。」


       私は、心の底からカノンに対して笑った


       「…あいつの、サガの行きそうな所を探そう。…本当は二手に分かれたほうが効率が良さそうではあるが、
       お前の足のことを考慮して一緒に探すとしよう。」

       「…ごめん、カノン。」


       私が謝ると、カノンは眉を顰めるように顔を歪めた



       「……お前が謝る必要は何も無い。さあ、行くぞ。」


       カノンは私に背中を向けると、そのままゆっくりと外へと歩き出した
       私も、カノンを追いかけるように宮の回廊へと踏み出した























       私とカノンは、聖域・十二宮の階段を上へ上へと登って行った

       巨蟹宮、獅子宮、処女宮…と一つづつ各宮を探して回った
       道すがら人の休めそうな所は隈なく探してみたが、サガの姿は見当たらず、仕方なく各宮の住人にもサガの行方を尋ねてみることにした
       …勿論、サガの性格を考慮して、宮の住人には事情を話すことはせず、ただ「サガを見なかったか?」とだけ尋ねた
       しかし、どの宮の住人からもサガを見たという証言は得られず、そのまま最後の双魚宮まで辿り着いてしまった



       「サガかい?…いや、私のところには来なかったし、通ってもいないようだよ。彼ほどの小宇宙の持ち主が通れば、私は気付くだろうからね。」


       双魚宮の住人、アフロディーテはさらりと言ってのけると、疲れ切った私の表情を見て私とカノンに茶を勧めた
       カノンは少し面倒くさそうな顔をしていたが、ずっと歩き詰めだった私にはありがたい申し出だったので受けることにした




       アフロディーテの淹れてくれた熱い紅茶が、私の体をゆっくりと下って行く
       ぽつん、ぽつんと体内に温かな斑点が広がってゆくような心地良さを私は味わっていた
       宮を訪れた時の質問以降、アフロディーテの口からはサガの話題は出ず、専ら私の左足の治り具合のことなどを取り上げていた

       …おそらく、彼なりに薄々事情を察して、配慮をしてくれているのだろう
       淹れてくれた紅茶よりも、彼のそう言った心遣いのほうが私の心をより温かくした






       小半時ほどして、私の体調がすっかり良くなったのを見計らうと、アフロディーテは私達を宮の入り口まで送ってくれた


       「ありがとう、アフロディーテ。とても体が温まったわ。」


       私が礼を述べると、彼はその柔らかな唇に笑みを浮かべた


       「そうかい?…それは良かった。、またおいで。………ああ、これは私の推測だが、サガは上にはいないと思う。
       ……おそらく下だな、君達が来た双児宮よりも。参考になるかどうかは判らないが。」

       「…ありがとう。」

       「………感謝する。では、な。」


       カノンは振り返りざまにアフロディーテに短く礼を言うと、私を連れて先ほどまでは昇ってきた階段を降り始めた







       「見つかると良いな、本当に大切なものが…。」






       双魚宮の入り口からそっと呟いたアフロディーテの声は、彼女の許には届かなかった










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