「花屋の特権ね!」と散々マリアにからかわれたが花束を片手に家路についたのは、夜9時を回った頃だった

       …花屋を口説く有名な手だと、聞いたことはあったけど

       家へ向う地下鉄の中で、大きなその花束は薄紅色に異彩を放っていた
       チラチラと他人の目を気に掛けながら、は昼間の男の事を思い返した

       …あの人、何か不思議な人だったなぁ
       見た目は私なんかよりすごく若そうだったのに、妙に落ち着いた空気が漂っていたし
       それに、私の事、「そなた」って呼んでたわよね
       今時、そんな二人称を使う人がこの国にいるなんてよく考えたらすごく変よね
       …だいたい、明らかに日本人じゃないのに、話してた日本語に違和感が無いと言うか、造詣が深そうと言うか
       そうよ、変よ、おかしいわ

       そこまで考えて、は首を傾げた
       いっそ幻だとでも思いたいところであるが、手元のブーケが彼の存在を如実に語っている
       男の記憶を反芻しているうち、は今更ながら気恥ずかしくなって花束にその顔を埋めた
       丸みを帯びた桃色の塊から、ほのかに甘い香りが漂って来る

       …ああ、視覚どころか嗅覚までがあの人の存在を私に証明するのね
       それにしても

       は、芍薬の花びらをその指先で軽くつついた
       みっしりと生え揃った花びらの中を掻き分けるように、爪が滑り込む


       「あれって、やっぱり口説かれていたのかしら…。どう考えてもナンパとは思えないんだけど…。」


       溜息を交えて、は小さく零した
       のその呟きが誰の耳にも届く事無く車内に拡散した時、アナウンスが彼女のマンションの最寄り駅の名を告げた








       いつもの呪文を唱えて部屋に入ったは、早速天袋からフラワーベースを取り出した
       花屋で働いているとは言え、一人暮らしの部屋では花を飾る事も殆ど無い

       部屋を装う気持ちも無いのは、ちょっと寂しくもあるわね

       何時の間にか自分の心に余裕が無くなっていた事を改めて実感し、は透明のベースに芍薬を生けた
       どんな花でも可愛らしく生ける事が出来そうだと一目見た時に思ったお気に入りのその四角いガラスのベースは、の友人の結婚式の引き出物だった
       もう何年も昔の事なのであるが、はふと友人の晴れ姿を思い出した

       …花嫁さんかぁ、確かにいいわよね

       自分だったらこんなドレスを着てみたいわ、と思い浮かべ、その自分の隣に立つ男の顔が何時の間にか昼間の男のものである事に気付いた瞬間、
       は内心焦ると同時に自己嫌悪に陥った

       な、何であの男なのよ…あんな、私より遥かに若そうな男…
       いくら相手がいないからって、悲しすぎるにも程があるわよ
       …確かに、落ち着いて素敵な人だとは思ったけど…

       慌てて脳裏から男の姿を掻き消そうとする程、の心の中に男の面影が広がった
       「元気を出せ」
       男の言葉が、心の芯に明かりを灯す
       薄く引き締まった唇を僅かに開き、紡ぎ出された言葉
       自分の事を何一つ知らないであろうに、どうして自分の心の裏を見抜いていたのだろう
       思い出せば思い出すほど不思議で仕方ない
       けれど、決して不快な不思議さでは無く、寧ろ…

       一瞬躊躇った後、薄紅色の花弁にが優しく触れた途端、電話の呼び出し音が部屋中にけたたましく鳴り響いた


       「もしもし…?」

       「ああ、。母さんよ。
        やっと帰って来たのね。何時もこんな時間まで仕事してるの?
        女一人の夜道は危ないんだから、もう少し早く帰るようにしなさいよ。」

       「う…うん。」


       捲し立てる様に話し始めた母に、は完全に気圧された


       「だいたい、いつまでも仕事仕事じゃなくて、ちょっとは結婚の事を考えたらどうなの。」

       「…あ、待って待って。」


       このままでは何時も通りのトートロジーに陥ってしまうと悟ったは、慌てて母の言葉を遮った


       「…何?何の用事なの?」

       「…あ。ああ、そうそう。」


       珍しくに強い調子で応えられて母は一瞬怯んだが、再び言葉を続けた


       「今度の日曜、お見合いして頂戴。もう先方には宜しく伝えてあるから。」

       「…え?ええっ!!」


       の声が裏返る


       「伯母さんの紹介なのよ。伯母さんの顔を潰さないで頂戴ね。勿論、断るのも請けるのもあんた次第よ。
        ま、とにかく次の土曜にはこっちに帰っていらっしゃい。服とか用意しておくから。良いわね?」


       良いわねも何も、そこまで話を進めておいて私が断れる筈が無いじゃないのよ

       母の相変らずの行動の早さと手腕に、は心底脱帽し、溜息を一つ落とした


       「分かった。土曜に帰れば良いのね?」


       最早観念したかの様に弱弱しく返されたの言葉に、母の声のトーンが一層高くなったのが電話越しでも充分伝わって来る


       「あらあらあら。じゃあお母さんも色々と用意しないとね。…何着て行こうかしら?」


       娘が見合いをするのがそんなに嬉しいものなのだろうか
       だったら貴女が見合いをしたらどうなの、と言おうとしては再び沈黙した
       …既に、母は電話を切っていた








       土曜の朝、マリアの店を再び訪う為に道を行く男の姿があった

       あれから少しは元気になったであろうか

       くるくると立ち働くの姿を思い浮かべて、シオンは僅かに肩を竦めた

       不思議なものだ、教皇たるこの私が
       聖域の黄金聖闘士どもにこのような所を見られたら、おそらくこれ見よがしにあれやこれやと悪口雑言を並びたてられるのであろうな

       シオンの脳裏で、自分を舐める様に見遣る「黄金聖闘士ども」のどこかニヤニヤした顔が次第に遠くなり、
       やがて満面の笑みに顔を綻ばせるの貌(かんばせ)と入れ替わった

       花の様なあの笑顔を、今は唯ずっと見ていたい
       …見ているだけで良いのだ、私は


       ザアァァァッ。


       公園の脇を歩くシオンの横顔に、一陣の風が吹き抜けた
       滑らかな銀色の髪が、シオンの頬から顎に掛けてさらさらと流れた


       「随分暖かくなった様だ。…聖域に比べたならばまだ寒いのではあろうが。」


       長い指で顔に掛かる髪を掻き上げたシオンの目の端に、小さな薄紅の花が映った
       それは、以前この公園を通った時にはまだ蕾であった


       「じきに咲くと思ってはいたが、とうとう開いたか。」


       シオンは手を伸ばして小さな花弁を傷付けぬ様に弄んだ
       過日に贈った芍薬と同じ色合いのそれは、芍薬に比して非常に素朴で儚げな姿をしている
       見渡せばそこかしこの枝に、今にも零れ落ちそうに咲き誇っていた
       一つ一つはとても小さく、弱弱しい花であるが、枝一つ、木一本と視界を広げてゆくとまるで薄紅の帳を張り巡らしたかの様に道から道へと延々続いている


       「あの娘の…の言っていた牡丹の花とは、斯様な色を敷き詰めた花であるのだろうか。」


       そう独りごちたところで、何を見るにつけてもの事を考えている自分自身に気付き、シオンはハハと笑いながら溜息を一つ吐いた









       「あら、貴方、確かこの間に花を贈った人でしょう、ね?」


       店の表に何時の間にかでん、と立っていたシオンに気付き、マリアが店から出てきて声を掛けた


       「今日もに用が有るの?ま、そこじゃ何だから中に入ったら?」


       に負けず威勢良く捲し立てるマリアの勢いに抗し切れず、シオンは店の中に再びその足を踏み入れた
       …尤も、マリアからすれば、シオンの様な大男に店の入り口に構えられても、商売の邪魔以外の何物でもないのであるが

       店内に入ったシオンの鼻腔を、花が醸す甘い香りが僅かに刺激する
       ちらりと見渡すと、に贈った芍薬の花が入った筒にぶつかる
       思いがけず口元を綻ばせたシオンは慌てて袖で口を覆ったが、マリアはそれを一部始終見ていた
       ゴホン、とわざとらしく音を立ててシオンが一つ、咳をする


       「…その、今日はどうしたのか。見掛けない様だが。」
 
       「え?誰?誰の事??このお店、店員さん多いから誰の事を言っているのか良く分からないんだけど。」


       シオンの顔に僅かに赤みが差しているのを目敏く見つけたマリアは、わざと意地悪く話をはぐらかしてみせた


       「…あの娘だ。……は、今日は居ないのだろうか。」


       すぐにでも噴き出したい気持ちを抑えるために、マリアは顔を半ば引きつらせて応えた


       「だったら、今日は休みよ。あの娘、昨日の夜行で実家に帰ったわ。」

       「何?まさか免職にしたのではあるまいな。」

       「違うわよ。お見合いよ、お見合い。」

       「お見合い…。」


       シオンが訝しげに首を捻る


       「お見合いってのは、両親とか親戚同士を通して、結婚を前提とした男女の出会いを提供する紹介の場のことよ。
        彼女、もう適齢期はすっかり越しつつあるから、親に見合いするように強引に勧められたらしいわ。
        …何か元気無かったし、あまり気が進まないようではあったけど…。」

       「そうか、成る程。」


       "お見合い"と言う単語の意味がよく分からなかったシオンは、マリアの説明に納得して頷いた
       シオンとしては、日本の文化面の造詣を多少なりとも深める事が出来たので納得しただけなのであるが、
       妙なまでに真剣に頭(こうべ)を縦に振るシオンに、マリアが横槍を入れた


       「貴方、何そこでうんうん頷いているの?いいの?彼女がその人と結婚しちゃっても。
       前、花をあげたのは彼女へのアプローチじゃなかったの?」

       「それは…それは、を少しでも元気付けたいと思ったなればこそ。…しかし…。」


       明らかに怪訝そうなマリアの言い草に、シオンは多少焦りながら答え、しばし沈黙した

       しかし、が誰かと結婚したいと言うのであれば、自分にはそれを留めるだけの理由は何も無い
       私は彼女の幸せを願っているのだから
       …だが、彼女にとって一体何が「幸福」であるのか?
       それに、この店長の話を聞くに、どうやらは見合いには乗り気では無い様子
       つまりそれは、彼女がまだ結婚などしたくはないと言う事なのか
       それとも、誰か既に想い人が居るのか…

       そこまで考えて、シオンは顔を上げた


       「一つ尋ねたい。彼女は…には誰かその、恋人が居るのか。」

       「さあ…それは。でも、彼女からそう言う話を聞いた事は無いから、多分居ないとは思うけど。」

       「では、何故その見合いとやらを厭うのだ。」

       「そこが女の難しい所よ。
        まあ、親から無理やりっぽかったから、嫌なのかもしれないけどね。
        仕事も恋も結婚も、女にとってはバランスの取り難いとても重要な問題なのよ。」

       「…そうか。もう良い。」


       女の人生論についてマリアから一説講じられ、シオンは何やら思案深げな様子で礼を述べた


       「あ、ちょっと!」


       そのまま立ち去ろうとするシオンを、マリアが呼び止めた


       「…彼女、帰って来るのは月曜よ。その日は、夜に店の皆で花見をするから、会いたかったら来ると良いわ。場所は桜山よ。」

       「…礼を言う。」


       雑踏に姿を消し行くシオンの背に、「がんばりなさいよ!」とマリアは心の中で声援を送った










       月曜に職場に出勤したは、明らかに元気が無かった
       何時もは店の中心となって眩いばかりの彼女の明るさも、今日は全くなりを潜め、店内に僅かに暗いムードが漂う
       見合いの席で何か良くない事が起きたのかとマリアは思ったが、敢えて口に出してに尋ねはしなかった

       この日のは、釣銭を間違えたり、花を取り違えたり、挙句の果てには花の筒に躓いてひっくり返したりと彼女らしからぬミスが目立った
       立場上、表面的にに注意を促しながらも、マリアは彼女に一体何があったのかと気が気で無かった




       夕方、通常より二時間近く早く店を閉め、定休日である翌日のために案内の札を下げると、マリアはの肩をぽん、と叩いた


       「さ、行きましょう。桜山で皆が待ってるわよ。」

       「ありがとうございます。…すみません、店長。」


       颯爽と前を歩き出したマリアの後ろで、は力無く呟いた







       その名の示す通り、桜の名所として知られる桜山に二人が辿り着くと、他の従業員達が既に場所を取って待っていた


       「遅かったですね、店長!」


       普段は顔を合わせる事の無い時間帯勤務の店員や、パートタイマーの店員たちがマリアとに声を掛けた
       山中の木と言う木には電球の入った提灯がぶら下がり、淡い色合いの花々を夜目にも鮮やかに照らし出している


       「綺麗ねぇ。」


       マリアが近くの木を見上げて感嘆の溜息を漏らした

       白や薄紅などの淡い色合いの花は、夜が一番美しい
       闇の中では、人間の目は色彩よりも明暗を能く識別するからである
       昼間は女王の如くその存在を誇る赤や黄色の鮮やかな色の花も、夜は淡い色の花たちにその位を譲る
       長い夜を愉しむ日本人は、それ故この花を愛した


       「はは、でもこの乱痴気騒ぎじゃ、花の美しさも台無しよねぇ。もっと静かに味わいたいものよね、こう言うのは。
        …ま、私たちも人の事は言えないんだけどね。さっ、パーっとやりましょ、私たちもね!」


       マリアは桜の木々を黙って見上げていた店員たちを促すと、オードブルや飲み物を広げ始めた


       「昨年度は皆さんお疲れ様でした!今年度もよろしくね。じゃ、美しい花にカンパ―イ!」


       乾杯、カンパ―イと歓声が上がり、辺りの人たちに負けず劣らず店のビニールシートの上も時を追って賑やかになった
       店員一人一人にビールを注いで回りながら、マリアはシオンの事を思い出した

       …そう言えば、場所と時間を教えてあげた筈なんだけど、どこかで迷っているのかしら?
       こう言う時こそ、を励まして貰いたいのに

       シートの端を見遣ると、先程までそこに座っていた筈のの姿は何時の間にか忽然と消えていた









       桜の木々に沿って、は一人、ふらりふらりと歩いていた

       山の裏手に踏み込むに連れ、宴会をする人々の姿は徐々に疎らになった
       最初は酔っ払った男性に絡まれたり声を掛けられたりしていたも、人影が少なくなるに連れて、
       唯ぼんやりと桜の花を見上げながら益々深い闇の領域へと足を踏み入れて行った
       ふと気付くと、辺りには提灯の明かりも無く黒々と静まり返り、ただざわざわと夜風が木々の間を縫って吹き抜けていた
       どうやらぼんやりと歩いているうちに、完全に隣の山に踏み込んでしまったらしい
       人の多い隣の山と比べ、この山は勾配が急で、至る所が崖の様に削れていた
       少し遠くに、提灯の灯りが玉の緒の様に連なって見える
       は、無言でその場に立ち止まった
       リリリ……チリリ
       目を閉じると、山の其処かしこから虫の鳴き声がに耳に届いた

       ああ、春なんだわ。もう冬は終ったのね
       虫も鳥も…桜も、この時を待ち侘びていたのかしら
       皆一斉に鳴き、咲き誇る
       そしてそれを喜ばしいと思うのは人間も皆同じ…筈なのに

       はゆっくりと目を開いた
       暗闇の中で視界一杯に広がる薄墨の海を、目を細めて眩しく見上げた
       夜風に揺れる枝の間から、はらはらと白い粒がの上に時を置かず、降り注ぐ
       目の前の一本の桜の木に近付き、はその大きな幹に掌をそっと添えた


       「あなたは…あなたは辛くないのですか?毎年毎年、こうして咲かせた花もすぐ散って。
        人に持て囃されるのもほんの少しの間だけで。後は一人ぼっちで。
        何の為に生きているのだろうって、そう思ったりはしませんか?…私は…私は……。」


       が掌を握り締めて一歩前に踏み出した途端、足元が宙を踏んだ


       「きゃああああぁぁぁぁ!」


       落ちる!
       そうが心の中で叫んだ瞬間、の手首に何かが掠る感触が伝わった


       「!!」


       恐る恐る目を開けた視線の先での手首を掴んでいたのは、あの芍薬の男だった
       男は無言のままを崖から引き上げると、の服に付いた土を軽く払い落とした


       「無事であったか……。」

       「貴方、どうして此処に…!?」


       まだ恐怖を払拭し切れていない面持のまま、がシオンに問い掛けた
       それに対し、シオンは少しその広い肩を竦めて見せた


       「何の。そなたの居場所など、私にとっては容易く探し出せる。」


       わざとらしく胸を反らして応えたシオンの言葉に、はほんの短い間だけ笑い、その後再び肩を落とした
       その表情は暗く、とても何時も店で見かけるものとは程遠い


       「貴方も…貴方も、花を愛する事なんて仕事でする程のものじゃないって思いますか…?」


       シオンに背を向け、はぽつりと洩らした
       の肩に手を掛けようとして、シオンはの小さな背中が小刻みに震えている事に気付いた


       「…そう申す男が居たのか、、そなたに…?」

       「私…昨日お見合いをしたんです、実家で。」

       「知っている。そなたの店の店長とやらに聞いた。」

       「前以て見せてもらった写真よりも素敵な人で、とても重要なお仕事に就いてらして、でも気さくな雰囲気で、私ちょっといいかも、って思ったんです。
        …でも。」

       「…でも?」

       「でも、もし結婚したら、って話になって、その人は言ったんです。『花なんて、家で趣味でのんびりやればいいんじゃないですか。』って。
        私、その時に今までの自分を全否定された様な気がして、どうしてもそれだけが許せなかったんです。
        …だって、だって、『花と人を繋ぐ』のが私に与えられた使命だって、ずっとそう思って頑張ってきたのに。
        なのに、『花なんて』だなんて…!」


       一度に全てを吐き出した後、は言葉を詰まらせてその場で涙を流し始めた
       徐々に震えの大きくなるの背中を、シオンはそっと近付いて後ろから抱き止めた


       「…、そなたは花だ。この私にとって。」


       後ろからシオンの腕に抱かれ、はビクッと身体を竦ませた


       「…花?私が…?」


       を怖がらせぬ様、シオンは声のトーンを少し柔らかく落とした


       「そなた、先程その木に話しておったろう。『あなたは辛くはないですか』と。
        …あの木は、もう何百年も此処に息づいているのだ。
        毎年毎年、この場所で花を咲かせ、その散るを惜しみ、そして人々の営みをずっと黙して見詰め続けて来たのだ。
        人の悲しみも、喜びも、そしてもっと複雑な想いも、この木は全て知っている。…それでも、まだ辛いと思うか。」

       「…何百年も…ずっと…。」

       「そうだ。木は動けぬのではない、動かぬのだ。それは例え動かずとも多くの事を見、思う事が可能であるからだ。」

       「素敵ね…。木って本当はとても偉大な存在だったのね。」

       「だが…、そんなこの木も、本当は寂しいのだ。…だからその身に花を咲かせた。
        たとえ一時で散ってしまうと分かっていても、木はその花が恋しいのだ。……そして、この木は私だ、。」


       驚いて振り返ろうとしたを制し、シオンはの耳元にその唇を寄せた


       「そうだ。そして…この花は、そなただ。私にとってそなたの存在はとても眩しく、そして儚い。
        だが、それ故に私はそなたを求めて止まないのだ。」


       シオンの低い声で囁かれ、の背筋に得体の知れないゾクゾクとした感覚が走る


       「まこと、そなたは花と人を繋ぐに相応しい存在。私と共に参れ。このシオンと共に。」

       「…シオン。シオンと言うの?貴方は…。」


       この様な状態で男の名を今初めて知り、はクスリと笑いを洩らした
       が笑った事に対しては素直に喜びを感じながらも、シオンは眉を顰めた


       「私の名がどうかしたか?」

       「ふふ…。花の中にも、貴方と同じ名を持つものがあるのよ、シオン。」

       「そうか。して、その花は如何様な花なのかな。」

       「…秘密。教えてあげないわ。」


       意地悪く笑って見せたの耳元に、シオンはふっと息を吹きかけた


       「ちょっと、何するの!…ねえったら!」


       抗議の声を上げようとしたの唇を己の唇で塞いで静かにさせると、後ろからの身体を抱きかかえてシオンは桜の坂道を下り始めた


       「先程申したであろう、、そなたを連れて行くのだ、私の居城へ。
        私は一度言った事は二度と撤回はせぬ決まりでな。」


       シオンの腕に抱かれたまま『「シオン」の花言葉の通りだわ、この人』としみじみ思うの視界から、徐々に提灯の灯りが遠ざかって行った








       一週間後、聖域に花専門の女官が入ったとか入らなかったとか……








                                  シオンの花言葉:「君を忘れない」








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