Nail, nail, nail
「、ちょっといいか?」
ノックもせずに明るい声で執務室に飛び込んでくる。
この聖域の中でそんな男はただ1人だと、は思う。
「相変わらずね、ミロ。どうしたの?」
執務室とはいえ女1人の部屋なのだからもう少し気を遣ってもいいと思うのだが、今更無作法を咎める気も起こらない。
「シベリアのカミュから手紙が来たんだ。1通は俺宛だが1通は宛の報告書だ。まとめて俺のところに届けられたらしいな。」
「ああもう、そっちに紛れてたの?道理でカミュにしては遅いと思ったのよ。・・・ありがとうミロ。お茶でも飲んでく?」
「ああ、もらおう。」
誘われたミロはぱっと笑う。
つられて微笑むは、改めてこの笑顔に自分が弱いことを感じるのだった。
が聖域の情報管理官の職についてから2ヶ月になる。
ようやく仕事にも、この異質な環境―聖域にも慣れてきた。
仕事自体は各地に散らばる聖闘士達の報告―それは書簡であったりメールであったりするわけだが―をまとめ、上司、
つまり教皇に報告するというものである。
普通の会社の業務と変わりはないし、何よりここにいる聖闘士たちも割と好意を持って接してくれるので、これといった苦労はない。
ただ世間から隔絶してしまうのが難点ではあるが。
「カミュは何て言ってきたの?」
茶菓子代わりのオレンジをナイフで切りながらが話し掛ける。
「んー、シベリアの仕事を手伝いにアイザックと氷河が手伝いにきたらしい。久しぶりに水入らずで食事したと喜んでいた。」
「すっかり親子ね、あの3人も。・・・はい、どうぞ」
「Ευχαριστω(ありがとう)・・・っ・・・痛ぅ・・・」
から手渡されたオレンジを齧ったミロが、わずかに顔を顰めた。
「どうしたの?」
「いや・・・ちょっと汁が傷に染みた」
彼の手元を覗き込むと、右手の人差し指の爪がぱっくり割れている。これでは果汁程度でも沁みるだろう。
「これ・・・スカーレットニードルのやりすぎとか?」
「馬鹿言うな。仮にも黄金聖闘士である俺がそんなことで自滅したりしない!」
「じゃあどうしたのよ。」
「ドアに挟んだ。」
それは聖闘士以前の問題じゃないかしらという言葉をとりあえず飲み込むだった。
「真央点をついて血は止めたのだが・・・」
ミロは改めて自らの指を見つめる。彼も聖闘士だ。このような傷など日常茶飯事だろう。
しかし爪の下は人間の急所の1つ。神経が多く通っており怪我をすれば痛みは酷い。
だからこそ拷問する個所になるのであって。
「見せてみて。・・・もしかしてこれで今日の訓練に行ってきたの?」
「ああ。ただ爪がうまく伸びないから代わりに中指でスカーレットニードルをしたのだが、一緒にいたサガに『下品なジェスチャーをするな!』と飛ばされた。」
「・・・そうね、小指も使わないほうがいいわよ。ちょっと待ってて。」
が奥にある私室から救急箱を持ってきた。
消毒液を手にする彼女を見て、ミロは後ずさる。
「やめてくれ。滲みるから嫌だ。」
「何言ってるの聖闘士でしょう・・・っていうか20歳の男でしょう。我慢しなさい。」
図体のでかい男を子供のように叱り、手当てをはじめる。
「包帯・・・よりはテーピングの方がいいわね。」
叱られた男は渋々といった感じでされるがままになっていた。
―時々痛みに声を漏らしてはいたが。
「・・・はい終わり。でも他の指の爪も結構傷んでるわね。ここなんて二枚爪だし。」
「そうなんだ。今日だけじゃなく爪はよく割れるぞ?・・・は割れないのか?爪長いのに。」
そういってミロはの手を取り、自分の爪と見比べる。
の爪は世の妙齢の女性と同様伸ばされ、綺麗にマニキュアが塗られていた。
「そ・・・そりゃ私は聖闘士じゃないし、手入れしてるし・・・」
「手入れ?」
は突然握られた手に戸惑いながらも答える。
「そう、あなた爪切り使ってるでしょう?男の人は普通そうなんだろうけど・・・爪を長持ちさせる為にはやすりで削った方がいいのよ。」
「ふうん・・・どうやるんだ?」
「・・・やるの?」
「ダメか?」
「別にダメってわけじゃないけど・・・」
ダメではないが、世間一般でやるのは女性かミュージシャンくらいだ。
第一ミロがこんな細かい作業を続けられるのだろうかとも思うだったが、「やってみたい」という彼の希望を断る理由もなかった。
「じゃあ手を出して」
「ん」
は救急箱に一緒に入れていた爪やすりをミロの爪に当てた。
彼女の手が動く。
「・・・んっ・・・」
瞬間、ミロの身体が身じろぎする。
指から伝わる僅かな振動がこめかみまで伝わったからだ。
痛みはないが、くすぐったいような痒いような感じがして落ち着かない。
「大丈夫?」
そんなミロの様子に気付いたのか、が声をかける。
黒い瞳に心配そうな色が浮んでいる。
「ああ。平気だ。」
そう言って笑って見せた。
今度は気を使ってか少し彼女の手つきが優しくなる。
それでもこの感覚はどうにも馴染まない。
こんなのをはいつもしているのか?
そう思いながらミロは、自分の指に集中しているを見下ろす。
黒い髪が揺れている。
その下には東洋人特有の色の肌、そして綺麗な形の眉。
伏せた長い睫毛の元の黒い瞳。
ミロは子供のころ見た子馬の目を思い出す。
ひたむきで優しい生き物の目。
さっきまで年上ぶって叱りつけていたくせに。
「」
手から伝わる刺激も忘れて、そっと名前を呼んでみる。
「何?」
彼の声が穏やかだったせいか、彼女は顔をあげない。手元の作業に熱中しているのが見て取れる。
「」
もう一度呼ぶ。
そしてそっとその頭に頬を寄せた。
「ミロ?」
さすがにも顔を上げた。
ミロの顔がそこにある。
瞳に互いの姿が映り。
が何か言いたげに唇を動かした時。
トントン
不意のノックに彼女は思わず身を引いた。
「おーい、。報告書持って来たぞ・・・って何やってるんだお前ら。」
「デスマスク。アフロディーテ。」
やってきたのはこれもまた報告書未提出者2人だった。
「え、いやちょっとミロの爪を・・・」
「邪魔するなよ。」
急な展開にしどろもどろになり手を離してしまったに対して、ミロは不機嫌そうに言い放つ。
それに意に介さず、アフロディーテは面白そうに彼女の手元を覗き込んだ。
「何だミロ。ネイルケアをしてもらっていたのか?いいな。今度私もやってくれ。」
「自分でやれよ。」
「何でミロが断ってんだよ。な、。俺は別なところのケアを・・・」
「どこのケアだ!」
「・・・ちょっと3人とも落ち着いて;」
はとりあえず気持ちと体勢を立て直し、3人のやり取りを止めた。
「そうだ報告書。デスマスクと私の分を持ってきたのだった。」
「ああ、これも待ってたのよ。」
「あとミロ。手が空いてるのだったら教皇の執務室に来てくれ。」
「俺が?」
「人手が足りないんだとよ。オラ来い。」
そう言われてミロは先輩2人に連行されていく。
離れていくぬくもりに、は淋しさとそして安堵を覚えながら見送った。
このままミロだけ残されても、意識して顔が見られなくなったことだろう。
今は離れてくれた方がありがたい。
ほっと息をつくにデスマスクがニヤリと笑いかけた。
「ガキの世話させて悪かったな。・・・ま、新しい亭主関白の図に見えないこともなかったがな。」
「デデデデスマスク!」
一度引いた血が再び頭に上る。
「テイシュカンパク?」
一方のミロは意味が分からず、アフロディーテに目で問う。
だが問われた男は肩をすくめて軽く笑うだけだった。
「じゃあな」と言われて閉じられた扉の向こうから、「何だよ、教えろ!」「あーお前には事態が進んだら教えてやらぁ」などと聞こえてくる。
「何が亭主関白よ、もう・・・」
いつの時代の話なの、とこぼしながら、喧争が過ぎ去った執務室では二度目の安堵の息をもらす。
―事態が進んだら。
そんなことがあるのだろうか。
いつか、この不思議な世界で、あの子供のような彼と。
頭に上った血が今度は胸に熱を運ぶ。
「ああ、少し落ち着かなきゃ」
一度大きく頭を振る。
落ちついて、頭を整理して、覚悟を決めて。
そうしたら何かがはっきりするはず。
例えば、彼に伝えたい言葉とか。
は忘れ去られていたオレンジの残りを口に放り込み。
そして思い切り噛んだ。
<管理人より>
長年の相棒、海里君から前回のイラストに続き、なんと初夢小説を頂いてしまいました!
・・・しかも、ミロですよ、ミロ!自分がまだ一本もミロ夢を書いていないので(コラ)、とても新鮮ですv
日常の一シーンを切り取ったような描写がツボです。・・・そして随所にスパイス効いてるね!(爆笑)
脇役のお二方(特に蟹!)とのやりとりがまた、読んでいて笑いを誘ってくれました。
最近、瑞々しい文章に憧れているので、執筆の参考にさせていただきます。(コラコラ)
それにしても、ミロの爪って一体何で出来ているのでしょうか・・・?(笑)
個人的には、サガのセリフが凄くツボに嵌りました。(笑)・・・サガってば・・・。
・・・海里君、これからもバンバン夢を書いてくださいなv待ってるから!
旅行と言い、イラストと言い、本当にいつもありがとう。これからも夜露死っ苦頼みます!
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